残るもの
実家の片づけをするにあたって、最も憂鬱に感じていた食器関係。
食器というのは、家族の歴史に比例して多いもの。まつわる思い出もあるでしょう。さらに、私の親世代はセット買い(和食器なら5組、洋食器なら6組、またカップ&ソーサーなど)世代。年月を経て、枚数も組み合わせも怪しくなってるはず。リノベーションでは、キッチンに備え付けてあった収納棚を無くし、カウンターのように使っていた食器棚も無くす。食器棚は1つだけにして、そこに収まるだけにしようと決めていたので、おそらく半分程度は減らさねばなりませんでした。
処分は2段階。片づけていくときと、食器棚に収めていくとき。片づけのとき処分に迷うようなら残す。だけど、食器棚に収める段階で、収まらないようなら潔く処分します。
↑この食器棚に収まるだけ。食器棚は葉山家具でかなり昔に購入したもの。以前より、カジュアルに明るくなったキッチン、ダイニングのなかで、アンティークのバタフライテーブルと共に、どっしりとした落ち着きをもたらしています。
収めていく作業は、思いのほかあっという間でした。それは、片づけの段階で母が潔かったおかげでしょうね(笑)。
↑ハーブ教室や、家族が一斉に集まる機会のために、枚数が多い取り皿類。
↑籠やトレーを使うのは収納のためというより、アクセント。母の持ち合わせが活きました。
↑小さな器は引き出しに。
食器の状態、使用頻度、枚数、組み合わせなど、いくつかの基準を設けて処分の判断をしたわけですが(あ、思い出も!笑)、結局は買ったものの「好きだったか、そうでもなかったか」がポイントなんですよね、単純に。
そうして、「そうでもなかった」ものが無くなって見えてきた自分が好きなテイスト。その時々、流行りはあっても、根底にある好みは変わらないと教えてくれているようです。テイストが揃ったことで、今まであまり活躍の場がなかった器まで目が届くようになり愛しく感じるのだから不思議です。
また、収めてみると、想像していたより余裕があって驚きました。空間に余裕があると、回転率も上がります。様々な成り行きで買ってはいても、好きで残したいものは、案外多くはない…これは、食器に限らず思うことです。
さて、こうして無事整った食器類。
1人暮らしの食卓を楽しめるよう、一役買ってくれたらいいのですが。
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